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SELLE SAN MARCOのはじまり

最新の研究成果を取り入れてサドルを進化させる

自転車部品の行商

セラ・サンマルコ社がサドル・メーカーとして生まれたのは1935年、ルイジ・ジラルディが28歳の時だった。それまで、イタリア北東部、ベネチアから40キロほどの距離にあるロッサーノ・ベネトに暮らす彼は、さまざまな自転車部品を自転車に積んでは、200キロ近く離れたミラノまで行商に出かけていた。朝3時頃に家を出て昼前に着き、数時間商売をしてから、宿代を節約するために同じ距離を自転車で帰宅した。そのつらい仕事を続けることができたのは自転車に対する情熱があったからに違いないが、それにしてもその距離を自転車で行商するのはなんと言っても尻がつらかった。

ルイジの工夫

当時、自転車サドルは専門メーカーがなく、自転車メーカーが鉄のベースに革を載せたサドルを作っていた。なんとか快適な自転車にするために、ルイジは固い革サドルにカバーを付けた。当時、第二次世界大戦が迫る中、軍のお下がりの外套が安く放出されていたのだ。それを仕入れてサドル・カバーにした。彼の行商は快適なものになった。

行商人からメーカーへ

その改良サドルが評判を呼ぶと、彼は軍の放出品である外套や毛布を使ったサドル・カバーを売り始めた。そうなるとサドル自体を自分で作ろうと考えた。鉄のレールとシェルを作り、快適なカバーを付けた。需要が劇的に増え、500人の従業員を抱える会社に成長した。

絶えざる工夫

当時は、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスなどのトップ・レースでも、一般自転車とさして変わらない平らなサドルを使っていた。より快適なサドルを、という彼の方針はレースの世界にもおよび、1974年には人間の身体の形状・動きに沿ったエルゴノミック的考え方に基づくスポーツ車専用モデルを開発した。台座と表面のレザーの間にパッドを入れる、という工夫もこらした。それが1978年にコンコール・スーパー・コルサという市販モデルとして結実した。セラ・サンマルコを元に、ロッサーノ・ベネト地区にはいくつかのサドル・メーカーが生まれ、世界の自転車サドル界を牽引するようになった。その後、コンコールやリーガル、ロールス等の伝説的モデルを開発し、近年は医学的な研究成果を取り入れている。
 常にライダーたちの要望をくみ上げてサドルを進化させて行く姿勢は3代目経営者になっても変わらない。変わったのは、おそらく、高級サドルとは革をたっぷり使った重いサドルを意味する時期が続いたが、現代ではそれが正反対になったことくらいだろう。

1980年代:多くのプロチームやアマチュアがコンコールを選んだ

リーガルeを使用して、グリーンジャージを獲得したアレッサンドロ・ペタッキ。

フィリッポ・ポッツァート

コンコール

ロールス

リーガル

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